毎週月曜から木曜の夕方、『ENEOS ON THE WAY COMEDY 道草』を聞くことは習慣となっていました。
そして2003年の夏、あの『すいか』が始まったのです。
視聴率はさておき、本当に面白いドラマでした。
なので、木皿さんが『すいか』で、向田邦子賞を受賞されたと知った時には、もう自分のことのように嬉しかったのを、今でも覚えています。
そして、時は流れ、2004年の夏。
仕事をしていると、一本の電話が。
「はい、革工房バロールです。」と応えると、受話器の向こうから思いもよらない返事が帰って来ました。
「突然すみません。 私、木皿泉と申します。」
ビックリ仰天とは、まさにこのこと。
「えっ!? 木皿泉さんって、あの脚本家の木皿さんですか!?」
以前送った革製ボールペンのお礼と、向田邦子賞受賞の記念品を、自分たちで作ったのだけれど、本職の職人さんにこんなものを送っていいものかどうかと、悩まれての確認の電話だったのです。
「はい、はい、はい。 もちろん頂きます!!」 そりゃ、即答ですよね〜。(笑)
こうして、ラジオ番組の一聴視者だった私が、木皿泉さんと親しくさせて頂くようになったのです。
私はただ、運が良かっただけなのかもしれません。
エネオスの広報の方も、道草の番組スタッフの方も、私の想いなんてスルーしていても、なんら不思議じゃなかったのですから。
でも彼らは、私の想いに応えてくれました。
なぜなんでしょうね〜?
今思うと、私はただ自分がやりたいように、やっていただけのように思います。
その時に、「どうせ無理・・・」とか、「そんなの意味ない・・・」などとは、けして思いませんでした。
結果や見返りを求めず、ただ自分の想いを、感動を伝えたい! そう思っていただけのように思います。
きっとそれに、幸運の女神が微笑んでくれたんでしょうね〜。(笑)
おしまい。